仕事が出来なかった自分が仕事出来ないから抜け出した方法

自分は以前まで仕事が出来ませんでした。

 

正確に言うと、30歳になってまで上司に「基礎が出来てない」と言われ、

一部の仕事をやらせてもらえませんでした。

 

 

30歳で仕事の基礎が出来ていないと言われた自分

29歳の時に営業から念願かなって人事部へ異動しました。

最初はそれまでインプットをしていたこともあり順調に船出をしました。

 

基礎が出来ていないと言われた出来事

秋に異動してきて、最初の夏

その日、新人のテスト対応があったのですが、抜け漏れが発生し、その日テスト対応の予定を誰もスケジュールに落としていませんでした。

結果、テスト会場に来た新人が問い合わせがあったにも関わらず連絡を受けたメンバーが準備が出来ていないとの理由で新人を返してしまいました。

あれよあれよと言う間に大事になり上司を含め火消しにあたってもらう始末になってしまいました。

それから、私についたレッテルは「基礎が出来ていない」自分が興味関心があることの学びには貪欲だけど、社会人としての基礎が出来ていない奴。

そんな、レッテルを上司に貼られてしまいました。

 

悩みに悩んだ数か月

それから数か月は仕事の一部を任せてもらえなかったり、何かにつけて、「基礎が出来ていない」と言われ、苦しい日々が続きました。

見栄とプライドだけはいっちょまえでしたから、高評価を得たいと思っていたのに、全然上手くいかない...そんな日々でした。

 

一冊の本との出会い

そんな日々から半年近く経とうとしていた時に、たまたま本屋に行きました。

基礎が出来るようになる仕事術の本を探していました。

そこで出会ったのが『コピー1枚とれなかったぼくの評価を1年で激変させた 7つの仕事術 』Shin著です。

コピー1枚とれなかった...という記事に目を引かれ、パラパラ立ち読みしていると、

と自分も同じような経験をしていると共感できました。ナポレオン・ヒルの『成功哲学』を読んでも、ドラッカーの本を読んでも一向に仕事は出来るようになりませんでした。

自分にあった、やり方をしていなかったんだ!そう思った、僕はさっそくその本を購入し、2日くらいで鬼読みしました。そしてさっそく、「指摘のドラフトメール一元化」や「最強のToDoリスト」をマネして始めました。「指摘のドラフトメール一元化」は自分が使いやすいようにGoogel docsを使用し、「最強のToDoリスト」はGoogel spredsheetを使用しました。

 

即実行、行動

まずは、Googel docsに「指摘事項一覧」を作り、今まで指摘されて来たことを一覧化しました。そして、毎朝9:15分に携帯のアラームをかけ、「指摘事項一覧」を読み返す時間にしました。

一番よくする凡ミスが資料での誤字脱字、罫線が抜けてる、数字のミスなどでした。

いつもバタバタしながら資料を作っているため、「一刻も早く上司に提出しなくては」と思い、作ったら“即”上司に出すという癖がついていたのですが、上司に出す10分前に作成期限を設定し、10分間を“見直し”の時間に充てようと決めたのです。

最初は、早く早く出そうとしてしまうのですが、何とか我慢して見直しをしました。

すると、小さなものを含め9割以上はミスがありました。そういった上司の資料提出やスケジュール管理、特にOUTPUT物の“正確性”を少しずつ精度を高めていくことで上司にも「変わっていったな」という印象を与えることが出来ました。

2~3ヶ月経つ頃には上司も仕事の制限を解除してくれるようになり、通常の仕事が出来るようになりました。

 

Shinさんのように評価が劇的に変わるところまでは正直行ってませんが、継続していきたいと思います。 

 

 

 

 

 

 

はじめに…

f:id:twelvemonkeys:20181128203110j:plain

~プロローグ~

 はじめに、私は30代のサラリーマンなのですが、学生時代、社会人になってからと

 様々な挫折や悩みながら生きて来ました。

 

 そんな、自分でも結婚して一応社会人生活を送っています。

 日々色んなことに悩む中で、様々な人や情報に助けられながら生きてこれたと

 思うので、自分の経験が誰かの役に立てばいいなと思ってブログを作ってみました。

 

~自己紹介~

 30代会社員、家族は奥さんがいます。人事の仕事をしています。

  

 ◆小学校時代

   小学校1年~6年生まで不登校児でした。学校に行ったのは1年生のGWまで

  だったかな。何で行かなくなったかと言われると自分でもハッキリしたことは

  覚えてないのですが、恐らく、保育園の時まで友達間では優位にあった自分の

  ポジションが小学校に入って、他の強いやつの存在でなくなってしまったこと。

  仲の良かった同じ保育園の子達と別のクラスになってしまった。それが理由かな

  と思います。

   小4の時にふと「このままではヤバい、社会に出られない」と、子供ながらに

  夜、寝るときに一人で泣きました。そこから、それまで取っていた「こども

  チャレンジ」や学校の教材を引っ張り出して来て、学校に行っている子達と同じ

  時間勉強するようにしました。運よく勉強は呑み込めて行ったので、ある程度は

  小6までに2年間で勉強が追い付いてこれました。理科や社会とか単元が変わって

  いく科目は8割、9割とれるようになりました。が、算数や漢字は覚えきれず、

  中学に持ち越しになりました。

 ◆中学校時代

   同じ小学校の周りの子の理解もあり、中学校はスムーズに溶け込んでいけまし

  た。当時は肥満児だったし、小学校も行っていなかったので、とにかく空回り

  結構女子には嫌われ?気持ち悪がられる時もありました。ただ、消去法で選んだ

  部活の柔道が結構合っていたらしく、筋トレに励んで体重も減少していき、

  中2ぐらいの時にはだいぶスッキリした体形になったかなと。しかし、椎間板

  ヘルニアになりかけて、部活の練習が出来ず、部活に行きずらくなり、

  辞めようかと思って、部活に行かない日が続きました。顧問の先生にも説得されて

  行くって行っても行かない日が何日かあったある日、親から「そんなんじゃ誰にも

  信用されなくなるぞ」という一言を受け、再開。再開当時はコーチにいろいろ嫌な

  ことを言われたりもしたけれど、自宅での筋トレや基礎トレーニングを頑張り 

  出して、2年生秋の新人大会では県ベスト8まで行けました。

   その後、3年生は県大会出場止まりだったけど、それなりに楽しい学生生活を

  送り、好きな子が出来てもフラれる日々も経験し、狙える範囲内の進学校

  合格することが出来ました。

 ◆高校時代

   晴れて、高校に進学出来たものの、ここからもあんまり上手くいかない日々の

  連続でした。まず、部活は柔道は続けたくないと思っていたので、しばらく部活に

  入らず、フラフラしていたら同じクラスの子が「軟式テニス」をやらないかと

  誘ってきて、流れで入りました。そこが、伝統がある部活で、過去には

  インターハイ出場者もよく出していた時期もあり、OBが強かったのですが、

  最近はめっぽう弱いという状態でした。高校から初心者で始めたので、だいぶ

  はんでもありましたが、大会に出られる程度にはなりました。

   しかし、朝練に夜も日が沈むまで練習していたので、帰宅は20時過ぎ、そこから

  5教科7科目を習得できるほど、私の地頭はよくありませんでした。。。

   そう、勉強はめっきりできなくなっていきました。なんせ、同じレベルか

  それ以上の人たちが集まってる上に、ここへ来て、小学校時代のツケが回って

  来て、基礎的な計算能力(算数ドリルで培うようなもの)がないがために、数学や

  理数科目でつまづきまくりました。数学は大体追試でした。おまけに、学校の

  方針が国立合格率を優先する学校だったので、学校の雰囲気的に私立目指すやつは

  負け組みたいな風潮がありました。高校3年から個別塾に通わせてもらったり、

  ト〇ライの家庭教師をつけてもらったりして、なんとか悪あがきをしてました。

  個別塾は兄がAO入試対策で行ったところで、先生は別だったのですが、この

  先生がろくでもないやつで、全然成果もあがらず、休んでばかりいて、ついに親が

  クレームを出し始め、数か月で退会しました。ト〇ライはそれなりにお金を

  かけてもらいました。大学生の先生でしたが、ピンポイントで教え方が上手く、

  少し成果も出ました。

   そんなこんなで、高校3年でセンター試験をうけ、ギリギリ受験できる地方の

  国立大を受験しました。東北方面に行ったのはあとにも先にもこれっきり。

   結果、どこも受からず、変なプライドがあったので、MARCH以下の私大には

  行かないと勝手に決めていて、浪人させてもらいました。おまけに、予備校まで

  片道1時間かかるのが大変なのでと予備校の寮にまで入れてもらいました。

  (今思えばなんたる金食い虫。。。)

 ◆浪人時代

  こうして晴れて、浪人生にデビューしました。ギリギリ、受けていた模試で

  3科目の基準が私立文系のクラスの基準をクリアしていたので入れるコースに

  入りました。確か30人くらいのクラスだったのですが、1/3が同じ高校の人

  でした。また、別で書きたいと思うのですがこの浪人の前後で

  「逆算思考」「計画性」「勉強の仕方」を身につけられたような気がします。

  浪人時代は負しかありませんでした。体重も5㎏ぐらい増え、視力が0.3から

  気づいたら0.05になっていました。暗記術とか多用し何とか、偏差値60

  くらいの大学に合格最低点で受かることが出来ました。

 ◆大学時代

  大学デビューの一言につきます。大学では本当にいい仲間に出会えました。

  そして、人生で何がしたいのかもこのころ朧気になっていった気がします。

   ただ、今思えば、就活を甘く見ていたなと。もっと、情報があったら、

  もっと、インターンとか参加していたら、社会人を知っていたらと思うことも

  ありますが、大学生活を満喫できたので悔いはありません。

   簡単にまとめてしまいましたが、普通に自己分析したり、OB訪問させて

  もらったりと自分の枠の中で就活は頑張っていました。

   結果、就活が難しかったタイミングや自分が何をしたいのか、不明な

  部分もあり、社員200人くらいの住設系のメーカーに就職しました。

 ◆社会人

  ここから一気に、下り坂です。就職して「さあ頑張るぞと」思っていたのですが...

 簡単にまとめると、「月130時間の残業」、「残業代ゼロ」、「クレームの嵐」、

 ただ、環境要因にしてしまうと、例え、転職という手段を使っても同じ状況になって

 しまうと、思い、改めて「自分のやりたいこと」、「目指すキャリア」をノート等に

 まとめて、今の会社に居続けるのがいいのか、転職した方がいいのか、メリット・

 デメリットに分けて、可視化した上で、転職を決断しました。その後、縁があった、

 住宅メーカーで働いています。その中でも、「不安神経症に悩んだり、最近では

 「ストレス性の胃炎」に悩まされたりしながら今後のキャリアを考えています。

 転職後は、「自己開示の重要性」「ミスをしない仕事術」等の大切さを学び

 ながら仕事をしています。

  ブログを始めてみたのも、自分自身が何か悩みがあったりするとネットで解決

 方法を探したり、インプットを好きだけど、アウトプットが苦手なのもあり、

 苦手克服のために始めてみました。同じような境遇や、悩みを抱えている人と

 解決策を共有したり、自分の経験が誰かの役に立てばいいなと思いますので、

 そんなことを今後も書いていきたいと思います。